ルイ・ヴィトン展
今日は1か月ぶりにお休み。娘がランチをおごってくれる、というので喜び勇んで、都内某所の、ミシュラン2つ星のイタリア料理店に!留学を終え、勉強の傍ら、少しづつお仕事もいただき始めているとは言え、少ない収入の中から・・・でもうれしかったです(涙)
そのあとは、無料バスにて、紀尾井町のルイ・ヴィトン展に行ってきました。私も娘も、ヴィトンのバッグは1つも持っていませんし、正直なところ、一目見てわかる、いわゆる「ブランド」ものは苦手。これからもおそらく購入することはないと思います。
しかし、フランスの誇る、このメゾンの職人魂に触れたい、伝統の技に触れたい、そんな気持ちからでした。
約200年前、スイスとの国境にある、フランシュ=コンテ県に生まれたルイ・ヴィトン。そんな土地柄の、森に親しいDNAのせいか、彼は16歳の時パリに出てきて木箱の職人の見習いとなります。これこそが、今や世界を圧巻する一大ブランドとなる「ヴィトン」の原点です。そうです、木箱、この中にたくさんの生活必需品、宝石、その他多くのもの、壊れては困るものを含め、を携えて、当時の貴族たちは世界を旅しました。それは船旅。しかし、世の中の流れとともに旅のスタイルは変化します。
船旅は馬車による旅、となり、自動車、そして列車、飛行機、と変化すると同時にその旅のスタイルの要求に応える変化を、木箱から始まる、旅行鞄となるヴィトンのスタイルは見事に姿を変えてゆくのです。当時、世界旅行ができる人は地球上でもほんのわずかの貴族だけだった、それが産業革命やその後の自由主義経済の発展、大衆文明で、誰でもお金さえだせばそれが実現可能となった現代。
会場は200年の歴史をもつ老舗の展示物が時系列で並べられており、19世紀の鞄など、まるで美術館の展示物となんら変わらない、威厳とオーラがありましたが、足を運びながら、まるでこれはピアノの歴史と同じだ・・と感じていました。ちょうどいま、私が今読んでいる本が ショパンがパリという町にいかに影響されたか、という内容のものなのですが、時もまさに同じころ。まさにこのフランシュ=コンテから、徒歩で2年かかってパリに出てきた若きルイ君と時をほぼ同じくして、20歳の、ワルシャワから出てきたばかりのフレデリック(ショパン)。もしかして、パリの街角で二人がすれ違っていたかも・・・。目の前のこの伝統あるメゾンの歴史も欧州というカテゴリーの一端を、音楽とともに担っている、そんな答が聞こえた気がしました。
以下の4枚は顧客リストです。ヘミングウェイ、ジバンシィ、ディオール、サンローラン
これは、そう あの歴史で学んだ「板垣退助」の所有。
これは3代目ガストン・ヴィトンの所有。あの有名なLとVを組み合わせたモノグラムは日本の家紋を模したものだそうです。19世紀末から20世紀にかけてのジャポニズム(日本文化への憧れ)は、当の我々が思っている以上なのかもしれません。